「今まで払ってきた年金は、帰ったらどうなりますか」——帰国が決まった従業員から、この質問を受けることがあります。
答えは、脱退一時金として請求できる場合があるです。ただし、この手続きには特徴があります。請求するのは本人で、しかも帰国した後です。そのため、企業側は「本人がやること」と考えて、案内だけで済ませてしまいがちです。
しかし実際には、出国前に済ませていないと、受け取れない、あるいは金額が目減りする項目があります。そして出国してからでは、取り返しがつきません。
この記事は、受入れ企業の人事・総務担当者と、登録支援機関の実務担当者に向けて、退職・帰国が決まった時点で企業側が何をすべきかを整理するものです。
なお、本記事は情報提供を目的としたものであり、請求手続きそのものを扱うものではありません。
結論:企業ができるのは、出国前の3つだけ
先に結論を述べます。脱退一時金の請求は、本人が帰国後に日本年金機構へ行うものです。企業が代わりに請求することはできません。
企業の役割は、本人が帰国後に請求できる状態を整えて送り出すことに限られます。具体的には次の3つです。
このうち①と②は、出国後には手遅れになります。
脱退一時金でつまずくのは、請求の段階ではなく、その前の出国前の段階です。
実務では、ほとんどが受け取る選択をします
制度の説明に入る前に、実態を押さえておきます。
フィリピン人材の多くは、数年間の就労を経て帰国します。日本の年金を将来受け取る立場にはなく、脱退一時金として受け取ることを望むのが一般的です。これは合理的な判断です。
後述するとおり、通算という別の選択肢もありますが、大半のケースでは脱退一時金が現実的な選択になります。企業側としては、「本人はほぼ確実に請求する」という前提で準備しておくのが実務に合っています。
出国前にしかできない3つのこと
① 転出届の提出
これが最も重要です。
脱退一時金の支給要件には、日本に住所を有しないことが含まれます。つまり、住民票が日本に残ったままでは請求できません。
そのため、出国前に、住民票のある市区町村へ転出届を提出しておく必要があります。
【要確認】手続きの詳細は市区町村により異なる場合があります。
これを忘れると、帰国後に住民票の処理から始めることになり、手間も時間もかかります。退職時の案内に、この一項目を入れておいてください。
② 納税管理人の届出
知られていないわりに、金額への影響が大きい項目です。
厚生年金の脱退一時金には、支給時に所得税が源泉徴収されます。税率は20.42%です。支給額が80万円であれば、16万円以上が差し引かれる計算になります。
ただし、この源泉徴収分は、確定申告によって還付を受けられる場合があります。そのために必要なのが、日本国内で手続きを代わりに行う納税管理人の届出です。
そして、この届出は出国前に行う必要があります。出国後に「税金が引かれている」と気づいても、そこから遡って手配するのは容易ではありません。
企業が代わりに届け出るものではありませんが、制度の存在を伝えることはできます。
【要確認】課税の取扱いおよび還付の要件は、個別の状況により異なります。税務の詳細は税務署または税理士にご確認ください。
③ 基礎年金番号が分かるものを渡す
請求時には、基礎年金番号が必要になります。年金手帳や基礎年金番号通知書など、番号が確認できるものを、退職時に本人へ確実に渡してください。
会社が保管したままになっていると、帰国後に本人が番号を確認する手段がなくなります。
あわせて、退職後に送られてくる書類の受け取り方も決めておきます。帰国後に日本の住所へ書類が届いても、本人は受け取れません。
請求の期限は2年です
脱退一時金は、日本を出国してから2年以内に請求する必要があります。
帰国直後は生活の立て直しで手一杯になり、手続きが後回しになりがちです。出国前に「2年」という期限を明確に伝えておくことが、実務上の支援になります。
金額には上限があります
脱退一時金は、納付した保険料の全額が戻る制度ではありません。計算に用いる月数に上限があります。
現在の上限は60月(5年)です。2021年4月に、それまでの36月(3年)から引き上げられました。
そして、この上限を96月(8年)へ引き上げる改正が、2025年6月に成立した年金制度改正法に盛り込まれています。背景には、育成就労制度の創設により、育成就労から特定技能へ進んだ場合の就労期間が5年を超えることが想定される点があります。
ただし、施行日はまだ確定していません。公布から4年以内の政令で定めるとされており、日本年金機構の案内も現時点では60月(5年)のままです。
【要確認】施行時期は政令で定められます。適用時期は最新情報をご確認ください。
実務上の意味はこうです。現行のまま在留が5年を超えた人の場合、超過分は計算に反映されません。特定技能2号や、育成就労からの移行で在留が長期化する人については、この点が効いてきます。育成就労の制度動向は育成就労でフィリピン人を受け入れる準備で整理しています。
再入国許可を得て出国した場合の取扱いが変わります
同じ改正の中に、もう一つ重要な変更が含まれています。再入国許可(みなし再入国許可を含む)を得て出国した場合、その許可の有効期間内は脱退一時金を支給しないという取扱いです。
これは、日本での在留を続ける予定の人が脱退一時金を受け取ってしまい、それまでの加入期間がリセットされることを防ぐ趣旨とされています。
注意すべきは「みなし再入国許可」です
一時帰国の際、多くの方は再入国許可をあらためて取得せず、出国時の意思表示によるみなし再入国許可で出国しています。手続きとしては、再入国出国記録の欄に印を付けるだけです。そのため、本人に「再入国許可を取った」という認識がなくても、制度上は再入国許可を得て出国した扱いになります。
そして、みなし再入国許可の有効期間は出国から1年です(在留期限が先に到来する場合はその日まで)。1〜2か月の帰国であれば、その全期間が有効期間内に収まります。
実務上の意味は明確です。脱退一時金は、日本での就労を終えて帰国する人のための制度であり、一時帰国の場面で使うものではありません。この改正により、その線引きが制度上さらに明確になります。
【要確認】施行時期および具体的な運用は、今後の政令等で定められる部分があります。
もう一つの選択肢:社会保障協定による通算
大半のケースでは選ばれませんが、選択肢としては存在します。
日本とフィリピンの間には社会保障協定があり、両国の年金加入期間を通算できる仕組みがあります。通算によって受給資格期間を満たせば、それぞれの国から加入期間に応じた年金を受け取れる場合があります。
ただし、脱退一時金を受け取ると、その期間は通算の対象から外れます。受け取ってから「やはり通算にしたい」と考えても、戻せません。
再来日の可能性がある人や、在留が長期にわたった人については、この選択肢を知らせておく価値があります。もっとも、判断するのは本人です。会社が有利不利を判断する立場にはありません。
【要確認】協定の適用要件は個別の状況により異なります。
よくある間違い
一時帰国に合わせて、形だけの退職手続きを行う
一時帰国の前に退職とし、帰国中に脱退一時金を請求して、戻ってから再び同じ企業に入社する——こうした運用が見られることがあります。しかし、支給要件は「日本に住所を有しないこと」であり、実態を伴わない対応は制度の趣旨から外れます。
そして前述のとおり、2025年の改正では、再入国許可(みなし再入国許可を含む)を得て出国した場合に、その有効期間内は支給しないという取扱いが盛り込まれました。この方法は制度上塞がれる方向にあります。
加えて、本人にとって不利に働くこともあります。受け取った期間は加入期間として扱われなくなり、その後日本で働き続けても復活しません。
「再入国許可を取っていないから関係ない」と考える
みなし再入国許可も対象に含まれます。本人に取得した認識がなくても、制度上は再入国許可を得て出国した扱いになります。
「本人がやることだから」と、案内だけで終える
転出届と納税管理人の届出は、出国後には手遅れになります。
年金手帳を会社が保管したままにする
帰国後に基礎年金番号を確認する手段がなくなります。
源泉徴収の存在を伝えない
20.42%が差し引かれることを知らないまま受け取り、後から不信につながることがあります。
期限を伝えない
2年は、帰国後の生活のなかでは短い期間です。
まとめ
脱退一時金は、本人が帰国後に請求する制度です。しかし、企業が出国前にやるべきことがあります。
転出届の提出、納税管理人の届出の案内、基礎年金番号が分かるものの引き渡し。この3つと、2年という期限の周知。それ以上でも、それ以下でもありません。
そして、この制度は「日本での就労を終えて帰国する人」のためのものです。2025年の改正により、再入国許可を得て出国した場合の取扱いが変わることが決まっています。一時帰国と退職・帰国を明確に分けて扱うことが、これまで以上に重要になります。
退職・帰国時の手続き全体は退職・帰国するときの手続きで、雇用が継続したままの一時帰国については一時帰国する前にであわせて整理しています。
本記事は2026年7月時点で公表されている情報に基づく一般的な整理であり、個別の請求の可否や金額を保証するものではありません。年金制度および税制の運用は変更されることがあり、2025年年金制度改正法の施行時期は政令で定められます。実際の手続きにあたっては、日本年金機構、厚生労働省、税務署など各機関の最新情報をご確認いただき、必要に応じて専門家にご相談ください。
主な参照先:日本年金機構「脱退一時金の制度」/厚生労働省「年金制度改正法が成立しました」

