「母が倒れました。すぐに帰りたいです」——朝の始業前に、こう告げられる。フィリピン人材を受け入れている現場で、実際に起こる場面です。
このとき、多くの担当者は帰してあげたいと考えます。人手が足りていても、繁忙期であっても、家族の危篤や不幸は別だという感覚は自然なものです。
問題は、気持ちの上で認めても、制度上は即座に動けないことにあります。そしてその事実を、申し出を受けたその場で初めて知ると、説明が後手に回ります。本人からは「会社が渋っている」ように見え、そこから不信が生まれます。
この記事は、受入れ企業の人事・総務担当者と、登録支援機関・監理団体の支援担当者に向けて、緊急帰国の申し出にどう備えておくかを整理するものです。
結論:緊急時に判断していては間に合わない。平時に枠を決めておく
緊急帰国で企業が直面する問題は、「認めるかどうか」ではありません。認めると決めた後に、何をどの順で進めるのかです。
そして、その場で調べ始めると必ず遅れます。判断そのものは数分で終わるのに、手続きの確認に数日かかる——これが実際の姿です。
したがって、決めておくべきことは2つあります。
平時のうちに、緊急時の扱いをルールとして決めておくこと。そして、フィリピン側の手続きに何日かかるのかを、あらかじめ把握しておくこと。
緊急時にできるのは、事前に決めたことを実行することだけです。決めていなければ、そこから考え始めることになります。
なぜ「すぐ」には帰れないのか
日本国内の従業員であれば、忌引の連絡をして翌日に移動する、ということが可能です。フィリピン人材の場合、そうはいきません。
日本側では在留期限や再入国許可の確認が、フィリピン側ではフィリピンから再び出国するための確認手続きが、それぞれ必要になります。そしてこれらは、緊急であることを理由に免除されるものではありません。
フィリピン側の手続きの内容と、状況によって窓口での対応が必要になる点については、一時帰国する前にOEC対応を確認するで整理しています。
なお、この出国確認は、同じ雇用主・同じ職種・同じ国での就労が継続している場合、現在はスマートフォンで生成するOFW Travel Passによって処理されます。デジタル化により手続き自体は軽くなりましたが、対象外の場合に窓口対応が必要になる点は変わりません。そして、それが判明するのは本人が帰国した後です。
ここで重要なのは、企業がこの事実を先に知っているかどうかです。
知っていれば、「手続きに◯日ほどかかるので、その間に準備を進めましょう」と最初に説明できます。知らなければ、「確認します」と言ったまま数日が過ぎます。本人にとって、この数日の意味はまったく違います。
平時に決めておく4項目
なお、4項目に入る前に、平時のうちに済ませておける確認が一つあります。本人がeGovPHアプリに登録できているか、そして登録内容に不整合がないかです。緊急時にアプリの初期設定から始めることになれば、それだけで数日を失います。採用時や年次の面談の機会に、一度確認しておくだけで済みます。
① 何を「緊急」として扱うか
範囲を決めておかないと、その都度の判断になります。実務上は、本人から見た続柄と、事態の性質の両面で整理するのが分かりやすくなります。
親や子、配偶者の危篤・死亡は、多くの企業が緊急として扱います。一方で、日本の忌引規程をそのまま当てはめると実態と合わないことがあります。フィリピンでは祖父母や親族との結びつきが強く、日本の一般的な感覚より広い範囲が「近い家族」として扱われる場合があるためです。
どこまでを認めるかは各社の判断ですが、決めておくこと自体が重要です。
② 休暇の扱い
有給休暇の残日数で足りるのか、不足分を無給とするのか、特別休暇の制度を設けるのか。就業規則との整合を含めて確認しておきます。
そして、収入がどう変わるかを、出発前に本人へ伝えてください。帰国後に給与明細を見て初めて減額に気づく、という展開は避けられます。この点は金銭トラブルをどう防ぐかで扱った構造と同じです。
③ 費用の扱い
緊急帰国で高い確率で発生するのが、航空券代の相談です。
直前の航空券は高額になりやすく、まとまった額が必要になります。ここで「会社が立て替えられないか」という話が出ます。
平時に方針を決めておかないと、担当者が個人の判断を迫られる場面になります。会社として貸付を行わない方針であれば、緊急時をどう扱うのかまで含めて、あらかじめ整理しておく必要があります。
なお、労働基準法には、非常の場合に既往の労働に対する賃金を支払期日前に支払うべき旨の定めがあります。これは貸付とは性質が異なるものです。適用の可否は個別判断となるため、就業規則を確認したうえで専門家にご相談ください。
④ 連絡方法と業務の引き継ぎ
誰に、どの手段で連絡するのか。現地では通信環境が安定しないこともあります。連絡が取れない期間があり得ることを前提に、確認の頻度を決めておきます。
あわせて、担当業務をどう回すか。緊急帰国は予告なく発生するため、特定の人にしかできない作業を作らないこと自体が、備えになります。
帰国期間は、想定より長くなることがあります
これも事前に知っておきたい点です。
フィリピンでは、葬儀に至るまでの期間が日本より長くなることが一般的に知られています。通夜にあたる期間が数日から一週間以上続くこともあり、「3日で戻ります」という当初の申告どおりにならない場合があります。
加えて、現地での各種手続きや、再入国のための準備にも日数がかかります。
したがって、出発前に確認しておくべきは「いつ戻るか」ではなく、「戻る日が変わりそうなときに、いつまでに、誰に連絡するか」です。当初の予定を守らせることより、変更が早く共有される状態を作るほうが、実務としては機能します。
会社が避けたい対応
申し出の真偽を疑うような聞き方をする
証明書類の提出を求めること自体は会社の判断ですが、緊急時に現地の書類をすぐ用意することは困難です。求めるのであれば、事後の提出を認めるなど、運用まで含めて決めておいてください。
その場で判断を保留したまま、連絡をしない
確認に時間がかかること自体は問題ではありません。問題は、確認中であることが本人に伝わっていない状態です。
平時のルールをそのまま当てはめる
一時帰国の申出期限を、緊急時にも求めるのは実態に合いません。例外の枠を先に作っておくことが、繁忙期の一時帰国の運用を機能させる前提でもあります。
戻った後のフォローをしない
家族を失った直後の本人が、通常どおり働けるとは限りません。緊急帰国の対応は、戻ってきた時点では終わっていません。
よくある間違い
制度上の所要日数を把握しないまま「すぐ手配します」と答える
実際にかかる日数が判明した時点で、約束が果たせなくなります。
忌引の範囲を日本の感覚だけで判断する
家族の捉え方が異なる場合があります。決めるのは各社ですが、認識の違いがあることは前提に置いてください。
費用の相談を、その場で担当者が判断する
会社の方針として決めておかなければ、対応が人によってばらつきます。
帰国中の連絡ルールを決めていない
連絡が取れない期間が生じたとき、無断欠勤なのか通信環境の問題なのかが判断できません。
まとめ
緊急帰国の申し出に対して、企業ができる最大の準備は、その場での判断を速くすることではなく、判断すべきことを減らしておくことです。
何を緊急として扱うか、休暇と収入をどうするか、費用をどう扱うか、連絡をどうするか。この4つを平時に決めておけば、当日にやるべきことは実行だけになります。
そして、フィリピン側の手続きに日数がかかるという事実を、企業が先に知っていること。これがあるだけで、本人への説明が「確認します」から「◯日かかるので、こう進めましょう」に変わります。同じ日数でも、本人の受け止め方はまったく別のものになります。
通常の一時帰国の運用については繁忙期に一時帰国を申し出られたらを、離職の背景全体についてはフィリピン人材が定着しない本当の理由をあわせてご確認ください。
本記事は情報提供を目的としたものであり、個別の労務判断や手続きを保証するものではありません。制度の運用は変更されることがあります。実際の対応にあたっては、自社の就業規則および各機関の最新情報を確認のうえ、必要に応じて専門家にご相談ください。

